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『チャーリー』:チャップリンの自伝的な映画。
まだ言葉を持たない、映像のみの。生まれたばかりの映画の世界。アクション(動き)だけで、感情も何もかもを伝えるという技法は、技術の進歩と共に消えていくのだけど。役者が"話さない"という映画にこだわった、喜劇を生み出す男チャップリン。大衆のために、娯楽を提供し続けた男。
…なんであろうと、心を動かすものを創り出す人間には尊敬の念が湧きます。言葉はなくとも、伝わるものはある。身振り、手振り、表情。行動に理念は表れる。
それでも、人が伝達手段に言葉を必要とするのは、明確で的確なメッセージを込める事が出来るからだろうか。
チャップリンは、無声映画という表現方法の中で頑なに拘りを抱いていた『役者は話すべきじゃない』というスタイルを捨ててまで、映画の中で演説をする。大衆へのメッセージを、戦争に対する考えを、平和への思いを、映画に込める。
…言葉には力がある。けれどそれは、耳を傾ける人間がいれば、の話。そんな風にも思います。
「愛はもっとも美しい欲求不満だ。」「言葉で表現できないからだ。」
映画『チャーリー』で、チャップリンの独白にそんな言葉がありました。
…言葉で表現出来ないというより、表現しきれない感があるかなあ。表現しきれないからこそ、挑むように。愛の言葉を繰り出す者もいるように思う。
「言葉は無力ではないと、信じたい。」そう思う人間は、その人自身が『他の人の話に対して聞く耳を持った人間』だと思うな。
「言葉は無力だ。」そう思う人間は、身近に聴く耳を持たない人間がいるのだろうね?言葉が届かなくて悲しかった事があるでしょう?そんな風に思う。
…自分はどうだろう?他の人の言葉に耳を傾けられる?聴く耳はある?言葉には力があると思う?それとも無力で無意味?どう思う?
多分、私のその答は日々変わります。(笑)
(聴く耳を持っている時もあれば、耳を塞ぎたい時もあるでしょうし。言葉を尽くしたい時もあれば、一言も言いたくない時もある。)
願わくば………とは思いますけどね♪